| promise in the heart (前) |
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「そーなのかっ?」 お昼ごはん中のゴーイングメリー号、チョッパーの素っ頓狂な声がラウンジに響き渡った。 「そーなの、もう大っ嫌いでー」 その話し相手である未登録[1]は言いながらサンドウィッチを頬張る。口の端からこぼれ落ちそうになったトマトをキャッチし、無言で咀嚼しながら安堵に肩を下げた。二人の話を聞いてた未登録[2]は "大" つけんのかよと苦笑いを浮かべ、自分用に用意された炭酸水を飲み干す。 「あのときの瞬間最高嫌悪感は歴代3位には入るね」 そんな最大級の悪口にシュライヤも興味を示し、初めて聞く話だわとロビンも視線を向けた。未登録[1]の視線はぐぐっと左上辺りをさまよい、どうやら昔のことを思い出しているらしい。そして眉間にしわを寄せ、だって、と口先を尖らせる。 「全部壊そうとするから」 全部、あたしの世界、――‥全部、 「ね、大っ嫌いって言ったもんね」 「そうだったか?」 「言ったよ。そしたらそっかって言ったもん。ルフィ」 "あんたの全部が嫌い。大っ嫌い" 思えばあたしは、ルフィが大嫌いだった。 大事な物を壊すやつは許さない。 傷つけるやつは許さない。 平穏をかき乱すやつは許さない。 「なァ、おまえなに怒ってんだ?」 「うっさい。話しかけんな」 バラティエの内廊下、ぱたぱたと早足で歩く未登録[1]を追いかけるのはルフィ。 「おっさんのことなら、」 「話しかけんなって言ってんじゃん。雑用」 ふんっとそっぽを向いて突きあたりにある倉庫の扉を開けると、ルフィのことを見もせずに中に入って勢いよく閉めた。ルフィは腑に落ちない顔をしながらも、ガシャンと鍵が掛かった気配から後を追って話しかけることはできないと判断した。ここにいたところでどうにかなることもない。ちぇーと不満を声に出し、倉庫の前から離れていった。 「オーレンジ」 倉庫の中でまだ青いオレンジの実を、下からよーく眺めながら自分の持ってきた籠に入れていく。 未登録[1]はパティシエ。ゼフやサンジ、他の従業員に言わせればまだまだ見習い。 「……ムカつく」 満面怒り顔の彼女は小さな音を立て近くの樽に座り込んだ。 あぁ、そう、ムカつくのは、あの麦わら帽子の雑用。おじいに怪我をさせた男。店の中を引っ掻き回す男。大好きなサンジ兄ちゃんを、連れて行こうとしてる男。 胸がざわざわした。今までサンジ兄ちゃんがいろんな船から誘われるのを見てきた。時には商人、時には他の料理船、時には、今回みたいに海賊。それでもサンジ兄ちゃんはどの船にも乗ることはせずここにいるの一点張りで、いつも通りならなんの心配もしなくていいはずなのに今回はわけのわからない不安に襲われてる。わがままなあの麦わら雑用がかっ攫っていくかも知れない、不安。 物心ついた時からこの船に乗っていた未登録[1]。自分の素性なんて知らぬほど、生まれたことは遠い過去の話。赤ん坊だった時の記憶なんてない。気がつけばこの船の従業員に囲まれて過ごしていた。ゼフをおじいと慕い、サンジを兄と慕い。男だらけのこの船、だけど、恵まれた環境で過ごしてきた。そんな平穏な日々を大切にしてきた。 予感。 平穏な日々が消える予感。 全部、あの麦わらがいけない。 数時間後、あるひとつの出来事、ひとつではあるがひどく大掛かりな出来事が起こった。 サンジの運命を変える大きな出来事。同時に、少女の運命をさえも変えるだろう大きな事件が、前触れもなく訪れた。 麦わらの仲間だという剣士の戦いと、店を奪おうとした男と麦わらの戦い。サンジに助けてもらった男の、強い義理心。戦いが終わりを告げた後も未登録[1]はしばらく放心状態のまま。少女には刺激が強すぎた。 美味しいじゃん、サンジ兄ちゃんのスープ。だって食べ物に嘘なんてつきたくないよ。いつもなら出てくるその言葉が出なかったのは、もしかしたら自分自身がわかっていたからなのかもしれない。だけどそんなの認めたくなくて、未登録[1]は下唇を噛んだ。 「…このスープメチャクチャうめェのにっ」 暢気な顔でルフィは言う。知ってる、わかってる、当たり前だろと口々に言うコックたちの言葉は、未登録[1]の耳をかすめて頭の奥へ届いた。みんながなにを言いたくて、なにをしたいのか、苦しいほどにわかるのが嫌で嫌でたまらない。止めたいのに、止めたいのに、止めちゃいけないって思う自分が、嫌だった。 「なァ…小僧…」 お願いだよ、おじい、言わないで。 「………あのチビナスを、一緒に連れてってやってくれねェか」 "おれもいくよ。連れてけ" サンジ兄ちゃんがいなくなる。 サンジの言葉を聞いて、真っ先に部屋を飛び出した。 どうしよう。あぁ、困った、不安が現実になった。この船から大好きな人がいなくなってしまう。サンジの言葉を最後まで聞かずに部屋を飛び出した未登録[1]を、もう、サンジは追って来ようとはしない。決心を変える気はないのだから追わない方がいいのだと、きっとそう考えたんだろう。 わかってしまうというのは、こんなにも辛いことなんだろうか。わかってる、わかってた。大好きなサンジがいつか自分の道に進むだろうということは。しかし、それが思いもしない形で急速に訪れたのだ。準備のできていない感情が胸の奥をつつく。まだ、涙はこぼれない。 「まだ持ってくのかよ」 「うん。もっと肉をくれ」 「だいたいおめェら、何日航海するんだ?」 「知らねェ」 この船の中核は厨房。その厨房で、コックとルフィがあーだのこーだの話し込む。バラティエを発つ彼らのために、餞別として渡されるのはもちろん食糧。そんな中、重いドアがゆっくりと開いて覗いたのは未登録[1]の顔だった。おう未登録、コックがそれに気づいて笑いかけるが、未登録[1]はチラッと視線を投げただけの仏頂面。それに対して苦笑いするコックを見ても、この船で彼女がどれだけ甘やかされているかわかる。 未登録[1]は慣れた手つきで調理器具を並べ、冷蔵庫からメレンゲを取り出した。先ほどから厨房内に放置されていたバターはこのためだったのかと、変に納得してルフィに向き直ったコックだが、思い出したようにバタークリームか?と未登録[1]を見る。目線はボウルに向けたまま未登録[1]が頷けば、少しだけ悲しそうにそうかと呟いた。少し脚の高い椅子に腰掛け、ゴムベラとボウルでカタンカタンと音を立てている。 「あー‥そんじゃ、これ積んどくぞ?」 「おぉ。ありがとな」 コックに礼を言ったルフィは重い扉が閉まるのを見届けると、未登録[1]の手元が奏でる音に目を向ける。未登録[1]も未登録[1]でその視線を感じたのか、幾分居心地悪そうに深く息を吸った。しかしお互い無言で、普段ならこういうときにすぐになにか言ってしまう未登録[1]も今日は沈黙。しばらくの間無心にバタークリームを平していると、しびれを切らしたのはどうやらルフィで、なァ、と顔色を伺うように声を発する。 「いい匂いすんな」 悪びれもなく話しかけてくるのがひどく気に入らない。接し方もわからない。未登録[1]はルフィを無視して、目の前の作業に没頭することを選んだ。しかしそんなことに臆さないルフィはなおも言葉を紡ぎ、未登録[1]の神経を少しずつ逆なでする。バタークリームに注がれた目は、いい加減向こう行ってよとうんざりした様子だ。 「おまえさ」 おれのこと嫌いだろ、うん嫌い、ルフィが言い終わらないうちに返した。抜く手も見せない反応の早さに、ルフィも眉を動かす。 「なんでだ?」 それと、その返答にも徐々に眉根が顰められていく。 「なんでも」 おじいに怪我をさせたあんたが嫌い。 店を引っ掻き回すあんたが嫌い。 サンジ兄ちゃんを奪っていく、あんたが嫌い。 「わけもねェのにか?」 「言いたくない」 「なんでだよ」 「言ってもどうにもならないから」 言ったらサンジはこの船にとどまるのか。そうじゃない。そうじゃないからこんな気持ちになってる。こぼれなかった涙が、いまさらじんわりと心の奥から沸いてくるのがわかった。バタークリームは、手早く作らないとべたべたに溶けてしまうのに。 「おれはおまえ、嫌いじゃねェけど」 ルフィの言葉は、詰まっている未登録[1]の心をぐっと探る。小さい声だけどあたしは嫌いと、ルフィにはそれが届いた。 「あんたの全部が嫌い。大っ嫌い」 そう言い放った後、こくりと唾を飲んで口を結ぶ。意識が目奥を刺激して、もう手元は動かない。 「……そっか」 ルフィの目は瞬きもせず未登録[1]を見ていて、未登録[1]はそれをわかっているから顔を上げない。ただ下を向き、作業の止まった自分の指先をジッと見つめた。先ほどの"そっか"はもう彼女と話すことを諦めたのか、ルフィはため息混じりにじゃーなと口にし、ぺたぺたと草履の音を響かせる。厨房の扉に手を掛けたその時、ぐすっと鼻をすする音が聞こえた。 「……麦わら、」 サンジ兄ちゃんのことよろしくね、頼りなく消え入りそうな声はルフィの足を止める。振り向けば未登録[1]はまだうつむいたままでこちらを見ようとしていなかったが、泣いているということだけはわかった。喉の奥が締め付けられるような感覚に息をのみ、気づけばルフィは未登録[1]のすぐ傍らにいた。きゅっと心臓が軋む。脚の高い椅子に腰掛けた彼女はルフィの目線より少しだけ下にいて、目に入った丸い頭を思わず撫でた。 「……ッ、あんた、‥サンジ兄、ちゃん‥」 一度気が緩むと押し留めることはもう困難で、その瞳からはぼろぼろと涙が零れる。止まらない嗚咽、ルフィの手のひらは揺れる髪の感触と繰り返される振動の上にいた。 「サンジか?」 「つ、れて‥っ、ちゃ、う‥」 幼い頃から大切にしてきた夢を追って、サンジは旅に出る。オールブルーを探しに彼らと共に旅に出る。小さな世界から大きな世界に、夢を掴むために旅に出るのだ。だからひとつも悪いことはない。そんなこと知ってる。わかってる。 「お、願い、……ッ、だか、」 「ん?」 「‥絶、対‥見つ、けさせ‥て‥」 大好きな兄とずっと一緒にいることが叶わないなら、せめて、彼の追う夢が少しでも現実に近づくように、あたしは祈ってるから。ずっとずっと応援してるから、だから、今だけ、泣いてもいいでしょう? 「手伝っ、‥あげ、て……ぅく、」 人差し指がその頬へ。雫を拭う。溢れる雫を、ルフィの指が受け止める。 「おう、大丈夫だぞ。あいつは大丈夫、心配いらねェ。なんてったって、叶えたい夢があるんだからな。おれたちは、サンジの夢を叶えるなんてできねーんだ。でも、あいつが夢に向かうのを後押しすることはできる。おまえにもそれはできるんだぞ」 ぐしぐしと涙をこぼす少女を、2つだけ年上の少年は兄のように見上げた。椅子に座った彼女を覗き込むように床に座り、少年は少女を見上げていた。
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