| 可愛いベビーラブ |
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あ、ふいに大きい声でそう発した未登録[1]はその数秒後ガタンと立ちあがった。ラウンジにいた全員、彼女に目を向ける。 「未登録?」 「どーかした?」 「‥‥っ、うぇ」 口元に両手を当ててしかめっ面。しばらく下げていた頭をババッと上げた瞳には、じんわり涙が浮かんでいる様子。そしてそのまま何も言わずに、ものすごい速さでラウンジを出ていった。そんな一連の行動を見ていたクルーたちは首をかしげる。あいつなんかあったのか?ルフィのそれに、そういえば朝から顔色が優れなかったなと返したのはサンジ。熱っぽいって言ってたわね、続けてロビンが言った。 「熱?」 「えぇ。船医さんのところへ行くように勧めたのだけれど」 視線をチョッパーへと向ける。その視線を受けたチョッパーはギクリとした表情で肩を揺らし、フォークをくわえたまま小刻みに頷いた。 「う、うん。来たよ。来たんだけど‥‥おれが言われたのはそれじゃなくて、」 「それじゃないって?」 「な、なァ、ナミ」 「あー‥、そうね。それじゃないわね」 二人して顔を見合わせるのがどこか秘密めいた雰囲気で、何か知ってるんですかナミさん、なんて、平静を装って聞こえるサンジの声音も、みんなが薄っすら感じとれるほどには心配げ。しかし、どこか苦し紛れな笑みを浮かべたナミは、今朝のことを言っていいのか悪いのか少々悩んでいた。それはとてもデリケートなことで、言いたいけど言えない、兄である彼にならまだしも、こんな人の大勢いるところで言ってはいけないことなのだ。とても単直な思考なのだか、彼女の微熱に今の行動、今朝チョッパーの元へ訪れた相談事、すべてを掛け合わせて出てきた答えはひとつ。なにか知ってるなら教えてください、懇願するサンジは兄だ。彼女の体調のこと、知る権利がある。 「ちょっと、いい?」 指先でちょいちょいとサンジを招いたナミは、いつもなら、ナミさんの香りはまるで春風の運んでくる杏の花のうんちゃら〜とか言うはずのサンジが真剣な表情で顔を近づけてくることに違和感を覚えたが、目端に映るゾロの鋭い眼光にイラッときたのでそんな違和感もすぐに忘れた。構うことなく睨み返すだけ返し、すぐそこにあるサンジの耳に静かに囁く。 「未登録、生理がこないらしいの」 「せ‥‥っ?」 思わず大声を出しそうになったサンジは諫めるナミの手に口を塞がれたことで事なきを得た。チョッパーにぐいっと引っ張られてテーブルの下に身を潜めるような格好に。ナミもそれに続き、また内緒話程度の声が落ちる。 「あたしはその場にいて偶然聞いただけだから。チョッパーの方が詳しいと思う」 でしょ?と話を振られたチョッパーは身じろぎするがやや大きめに頷いた。そしてやはり先ほどのナミよろしく、言いにくそうにあーだのうーだのといらない声を発している。 「なんだよチョッパー、言えよ」 サンジが言葉の先を促せば、チョッパーは赤い顔をしてぼそぼそとこぼす。聞き取り難い状況に苛立つサンジは、おいチョッパーと、小さい声ながらも脅しのような低さで肩を揺さぶった。 「人間のメスの年齢だと、未登録はまだ安定するような年齢じゃないんだ。だから遅れても大したことはなくて、でも、」 「でも、なんだよ‥」 「胸やけがして、吐きそうになることが何度かあるって」 だけどそれは船酔いってこともあるんだぞ!慌てて言ったチョッパーだったが、サンジの顔はどんどん血の気を失っていく。 「物心つく前から海上で生活してたんだぞ。船酔いなんか起こすか。そんな言葉自体知ってるかどうか――‥」 心なしか涙目だ。ゴクリと息を飲んだナミの発する言葉は、さらにサンジを追い詰める。 「ここ最近のおやつ、サンジくん覚えてる?」 それはナミに言われる前から頭の中をぐるりと回っていたことで、未登録[1]が作るおやつ、ここ何日かは柑橘系の、俗に言う"すっぱいもの"が多い。昨日は蜜柑のムース、おとといはゼリー。その前は、その前はとぐるんぐるん。だからもしかしたら二人が言いたいことは、自分の考えていることと合致してしまうのかもしれない。強く、強く、そうでないことを願った。しかし、現実は無情。 「あと、微熱って言うのもな、」 サンジの一番恐れていた言葉が、船医である彼の口からするりと落ちる。 「妊娠の症状なんだ」 サンジが立ち上がると同時、かたわらの椅子が躊躇いなく倒れた。大きな音がラウンジに響くが、サンジの声も負けたものではない。 「んなことあるわけねェだろっ!妊娠?絶対ない!ありえねェっ!」 人はこのような状態を、半狂乱と呼ぶ。 「まだ子どもなんだぞ、ガキがガキ産めるわけねェだろーが!」 大声でわめいてからではもう遅い。周囲の視線でハッと我に返ったサンジは慌てて口を噤む。今なんて言った?妊娠とかなんとか。 「に、妊娠?」 「え、未登録が?」 クルーたちの表情は皆怪訝としていて、主な視線はサンジへのものだが、確認するようにチョッパーへも向けられた。その視線から逃れるように、サンジはラウンジの扉を見て一呼吸。そして端から一人ずつ、鋭い視線を投げつける。 「ウソップ」 「ま、待て待て待て!」 「シュライヤ」 「あのな、んなことするわけねェだろ」 「ゾロ」 「アホかてめェ」 「未登録[2]、てめェか」 「な、なに言ってんだよ。おれが手出したら犯罪だべ?16歳未満お断り!」 いや問題はそこじゃねェだろ、ウソップのつっこみにも笑いは起こらない。どこへ向けていいのかわからない怒りで頭の中がいっぱになってしまってるサンジの瞳に見えるのは涙だろうか。じんわり浮かぶそれをギュッと押し戻す仕草にナミはため息をついた。 「いや、待てよサンジ。そもそも未登録はそーゆー行為を知ってんのか?」 「知らないのをいいことに好き勝手やったのかもしれねェじゃねーか」 ネガティブな思考が回る頭では正常に物が考えられないらしい。サンジの息は荒く、肩が上下するほどだった。そんな中、黙って見ていた船長が、あ、と声を発した。 「あ、おれか?」 なんの抑揚もないいつもの調子で放たれた言葉。 「はっ?」 「てめ、なに言ってやがる」 この手の話題には未登録[1]と同じくらい知識がないものとして、とりあえず詰め寄ることすら省いた男がまさかの、だ。船長であるルフィ、躊躇いなく己を指で差し示す。 「未登録の子どもだろ?」 だったらおれの子かもしんねェなと、お気楽な表情でいつものように笑った。今まで黙って事の始終を見ていたロビンが、手にしていたマグカップをテーブルに置いて肩を竦める。そして、いい?船長さん、そう前置きした。 「子どもを作るというのはそう簡単なことではないのよ?」 「そーよルフィ。欲しいと思っただけでできたり、キャベツの中から生まれるわけじゃないのよ。ましてやコウノトリに運ばれてくるなんてことも――」 「知ってんぞ。エースが教えてくれたから」 出てきた名前に一同が息を飲んだ。あの兄貴だ、幼い頃から相当ませてたんじゃねェかとか、それならルフィにそういったことを教えててもおかしくないとか、全員の頭の中でほぼゼロだった可能性をぐんぐんと引き上げる。 「だけど例え船長さんがそれを知っていたとしても‥」 「未登録と二人でその状況に陥らないと子どもなんてできないわよ」 「こないだの夜だろ?二人で一緒に見張りしてて、未登録が寒いって言うから、」 「クソゴムてめェエエェエエエェエェエェェェェエ!!!!!」 チョッパーの野生の耳は、サンジが叫喚する直前になにかが切れる音を聞いた。堪忍袋の緒、なんて難しい言葉は知らないけれど、ああなんかもう黙って聞くには我慢限界だったんだろうなサンジ、そんな風に思う。 「ん?」 きょとんとしたルフィの表情に、激怒どころか精神崩壊してしまったのではないかと思わせる狂気ぶり。キッチンの包丁を躊躇いなく持つその姿はまさに夜叉だったと、後にウソップは語る。調理道具を遊びの延長で武器に使おうものなら、飯抜き説教のコンボでがなり立てる男がすることではない。やはり彼の精神は崩壊寸前なのだ。 「おおおおおい落ち着けよサンジっ」 「サンジ、それしまえ!いい子だから!」 「この野郎!人の妹傷ものにしやがって!」 「き、傷?未登録に傷なんかつけてねェぞ」 普段であれば理不尽な攻撃に反撃のひとつでも試みるルフィだが、それができないほど今のサンジの状態は恐ろしい。ナミやロビンにも、サンジの暴走する感情を止めることはできないらしい。 「待、ちやがれ!クソゴム!」 「ナミっ!何とかしろよっ」 「無理よ。未登録のことだもの」 「未登録[2]っ」 「あれをおれがどーやって止めんの」 わあわあとチョッパーがパニックを起こしていると、ラウンジの扉が音を立てて開いた。開けたのは他の誰でもなく渦中の人物で、よもや自分のことでこんなに騒がしくなってるなどと思いもしない未登録[1]がスッキリした顔で入ってくる。出て行ったときとはまるで雰囲気の違う室内に、ん?と首をかしげた。すると、ぐいんと伸びてきた両手が肩を掴み、バチンと音がしたかと思うとすぐ後ろにルフィがいた。 「どうしたの?」 「未登録!助けてくれっ」 未登録[1]を盾にするように、ぐいぐいとサンジの方へ押し出すルフィ。なになになにと面倒な顔をして未登録[1]はサンジを見る。 「なにしてんの?サンジ兄ちゃん」 「てめェ、ルフィ庇うのか?」 「………なんかしたの?ルフィ」 「おれは未登録の子はおれの子だって言っただけだぞっ?」 「はぁ?未登録の子?あたしの子?」 ますます訳のわからない顔で、状況の説明を求めようと視線の先はもちろんナミ。ナミだって収拾のつかないこの有様に、出るのはため息のみ。 「え?ちょっとなに?」 「未登録、てめェ妊娠してんのか」 一番冷静でいられるのはこの男というのも変な話。恐いものはないのか、ロロノア・ゾロ。率直に聞くのが、らしいと言えばらしいが。 「はっ?ニンシン?誰が?」 「てめェだよ」 「なんで?してるわけないじゃん」 口を尖らせゾロを睨みつけると、思い出したようにあっと口を開けた。こちらを心配そうに見てるナミとチョッパーに笑って見せ、声は出さずに唇の動きだけで、 "せーりきたよ" 子どもとは言え女の端くれ、同姓や医者以外には言いにくい部分もあるのだ。しかしそんな未登録[1]のことなどお構いなしに、きたの?生理?ナミは言う。その言葉でラウンジはしーんと静まりかえり、未登録[1]は頬を染めてあわあわと唇を震わせた。自分に視線が向いている、でもナミがあんな驚き方するなんて、もしかしたらすごくすごく心配させてしまったのかもしれない。的を射ているようなそうでないような思考を巡らせ、未登録[1]はこくりと頷く。 「なんかおなかの調子おかしかったみたいでね、あと、サンジ兄ちゃん」 未登録[1]の目には心なしかいつもよりやつれている兄の姿が映り、あ、なんか変だ、今更の違和感に目をそらした。 「こないだ買ったお酢、やっぱり合わないみたい…」 小さな声でそう言えば、オス?サンジから返ったのは疑問詞で、こないだ港に下りたときに珍しいから買ったじゃん、未登録[1]は早口で付け加える。 「あァ、あれか」 「なんか酸味に対して魚の匂い強すぎるんだよね、気持ち悪くなる」 ものすごく嫌そうに顔を歪めるとキッチンの調味料群をしばらく睨みつけ、そういえばみんなどうしたのと、本人にしてみればまったく蚊帳の外の現状にはてなマークを浮かべた。それぞれが素知らぬ顔で目をそらし、ウソップに至っては、いやもういいんじゃねーかななどとから笑い。そんな雰囲気に、つまんないのーと呟く。 「あ、ナミちゃん、今日分のみかんのことだけど」 「えっ、またみかんなの?」 「だってこの先夏海域に入るから早いとこ収穫するって言ってたじゃん」 思い返せば、そんなこと言ったような言わないような。ナミにとってはひどく曖昧で小さなことだったが、パティシエとしてデザート管理をする未登録[1]には大きな事だったのかもしれない。ナミらしからぬしおらしい表情でサンジを見ると、その目にはまだ涙がたまったままだ。次いでチョッパーと目を合わせれば、チョッパーはハッとしたように顔を上げる。 「未登録、熱っぽいのはいいのか?」 「あー、まだちょっと熱いかも。でもやっぱ見張り台で寝たらこうもなるよねルフィ。反省してます」 「おまえが寒いっつーからおれの毛布と二重にしてくっついてやったんだぞ。おれも寒かった」 「だってその前に一緒に見張りしてあげたじゃんっ。おあいこだし」 「そーだけどよー」 ああなんだ、そういうことなのね、ロビンの呟いた一言で、すべての幕が下りるかたちと相成りました。いろんなことが重なって、未登録[1]妊娠説が生まれ、間違いだと判明するまでにいたる。そんなゴーイングメリー号の朝のひととき。 ちなみに、エースがルフィに言った "子どもを作る方法" はというと。 「あ?おまえはなんで産まれたかって?そりゃあれだ、父親と母親っているだろ?二人で頑張って作ったんだよ。……あ?どうやってって、あー、そういうことに興味持つ年になったのか、おまえも。あれだ、あれ、こいつの子どもが欲しいって思うくらい好きで好きでたまんねェ、大事な女と一晩くっついて寝てたら、自然とできちまうもんなんだ。おまえにはまだ難しいけどな」 そんな風に教えたらしいです。確かに、間違ってはいませんけどね。 ルフィはどこまで鮮明に覚えているのでしょう。 "好きで好きでたまんねェ、大事な女" っていうのを覚えてたかどーかは、本人だけが知っている話。
サンジ兄ちゃんの"危ない男リスト"の中に一人増えました。
04/01/30 × |