| 溢れるほどにLサイズ |
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貸した英和辞書が返ってきた。 教室の後ろから、苗字でなく名前で呼ぶ男の声。まだまだ慣れてない高校生活で、あたしのことを名前で呼ぶのは中学から一緒のこいつぐらいなもんだった。 「ちゃーん」 声に気づいて腰を上げる。その動作が見えているはずなのに(だって目が合ったし)名前を呼ぶのをやめないのはどーなのかと思う。 「ー、ちゃーん。さーん」 連呼しなくても聞こえます、もうやめて下さい。 「うるっさいな!」 「だってちゃん返事ないんだもん」 「気づいてこっち来るの見えてるでしょうが」 「こみにゅけーしょんこみにゅけーしょん」 コミュニケーションだろとはつっこまない、絡むと長くなるから。 水谷文貴は隣のクラスで中学からのお友だち。中学三年間一度も同じクラスになったことはないけれど、毎回毎回こんな感じで隣のクラスだったりする。 だから軽い感じで腐れ縁。ちなみにあたしは1年8組。 「はい。辞書ありがと」 「水谷さぁ、もう三ヶ月経つんだから辞書買えば?」 「えぇーいらないじゃん」 「いらなくないじゃん。借りてばっかで」 「オレ自分が心から欲しいと思うもの以外買いたくないんだよね」 「欲しい欲しくないじゃなくて必要なもんでしょ」 こんなやりとりはもう日常と化してしまった。 「まぁまぁ。そんな怒んないでよ」 ちゃんのために面白いゲームを作ってあげたから楽しんで、そう言って、英和辞書をぐっと押し付ける。 「ゲーム?」 「そう。楽しいゲーム」 「どうだか」 「何かを見つけて下さい」 「何を?」 「だから何かだって」 「はぁ?」 「ヒントはー‥黄色より緑のがおっきい」 「意味がわかんないし」 「どっちにしろLサイズだけど」 そんな感じです、いやどんな感じだかわかんない、反論する前に水谷はひらっと手を振って背を向けてしまう。何なのよと肩を掴むにも至らず、ただ返された英和辞書を見つめた。 誂えたように、次の時間は英語です。だから辞書を眺めていても決して怒られないわけで。、理解不能ゲームに挑戦中。 (ったくさー、意味わかんないっつーの) 思い出すのはヒントの言葉。 『黄色より緑』 『どっちにしろLサイズ』 (黄色、緑、イエロー?グリーン?) エルサイズ。 (だー!意味わかんない、何か悔しいいいいい!) 勝手に作られたゲームだけど、解けないのは嫌です。解いて、こんなんすぐ解けたよと笑ってやりたいのです。すげーって、さすがって、一目置かれたい。そんな風に、ヤツの目の中に入ってたいと思ったのは、何も今始まったことじゃないのです。 いつの頃からか目で追うのは水谷文貴その人。中学時代、ヤツがあたしの辞書を無断拝借したのが始まり。どんな始まりだよって思うかもしれないけど、それが始まり。見も知らない人間の辞書勝手に借りて何考えてんのあいつ、見も知らない人間を意識するには十分なほどの経緯でした。 (あー‥わっかんない) 辞書をめくってみる。端の方に何か書いてやしないかと確認したが、ゲームうんたらどころかパラパラ漫画すら描かれてはいない。 毎回辞書を借りに来る彼に、何度告白めいた手紙を挟もうと思ったかは知れない。一度小さな紙に好意を示すような言葉を書いてみたことがある。だけどそれは60秒後にはもうグシャグシャに丸めてゴミ箱へ。 きっとこんな気持ちになってることなど、ヤツは知らないのだろう。 そう思えば思うほど、腹立たしいのと切ない気持ちが襲ってくる。 (グリーンでもイエローでもない) 黄色と緑に関する英単語を引いてみたけど、変わった部分は無い。 自分が引いた重要単語にマーカーが引いてあるくらいだ。ピンク色の蛍光マーカー。昔から、重要な場所は赤で線を引くなんて考えが植え込まれてるのか。使うのは専らピンク色の蛍光マーカーで、他の緑や定番の黄色なんかは使わない。 (……ん?) 緑や黄色? パラパラ辞書をめくる、指先の油脂がなくなり始めてる。 「あ」 ヒント:『L』サイズ (黄色のマーカー‥) 胸騒ぎがして、またページを捲る。 「わ」 ヒント:『L』サイズ (緑だ) 普段使わない色のマーカーが支配する単語。 どっちにしろLサイズだけどと、ヤツが言った単語。 黄色の蛍光マーカーで支配された、 ■Like■ 緑の蛍光マーカーで支配された、 ■Love■ どっちにしろLサイズだと、そう言った声がよみがえる。 『何かを見つけて下さい』 見つけたのは【好き】という意図を仄めかす単語。 『黄色より緑のがおっきい』 どちらを見つけて欲しかったのか、彼の口から言わせることにしよう。
水谷文貴という人間が大好きです。
05/08/21 × |