Jack Hofner ver.

 

 

入って来たのは二人の男だった。

「あっ」
「ん?」
「車、鍵して来なかった」
「で?」
「行ってくる」
片方の、長い髪をした青年が足早に店を出て行く。その様子を、連れの男は苦笑って目で追った。目じりに浅い皺が刻まれていて、出て行った青年よりは少し年上のようだ。
ふいに、その男が自分に気づいたように会釈する。その会釈に何も返せず、ただポカンと見ていたの隣まで来ると、いいですか?と。

「え?」
「隣、どなたかいらっしゃいますか?」
「いない、けど」
「貴女の話し相手に、……あー、いや、僕の話し相手になってもらっても?」
言い直した男はよろしいですかと。穏やかな表情でを見た。
「え、えぇ。……どうぞ」
小さいの呟きに再度会釈し、椅子に浅く腰掛けながら胸元からハンカチを。今度は男がどうぞと呟き、に手渡す。
「え?」
「退屈だったんでしょう?欠伸の跡がある」
この男は、自分の涙のことを言っているのだと気づいた。それと同時に、自分の涙にも、今気づいた気がした。

「ありがとう」
「どういたしまして」

涙のわけを聞かないのは、この男の優しさなのだ。


「お名前は?お嬢さん」
「お嬢さんなんて年じゃないわ」
「失礼。名前を聞かせて頂けますか?レディ」
「…………」
「僕はジャック・ヘフナー。ジャックと呼んで下さい」
笑顔が甘い、女性慣れしてる。この類の男には、引っかからないようにしているのだが。でも何だか、違う気がした。

「………ジャック、」

呟いた。その呟きに、目の前の男はニコリと微笑む。

「世の中には不思議なことがあるもんですね」
「え?」
「貴女みたいな美しい人が、一人で座ってる」
それともどこか別の場所に、貴女の王子が待っているとか。目を細めたその仕草に、は苦笑いして。
「待ってなんかないわ」
「だったら、やっぱり不思議だ」
「貴方にこんなに褒められても、」
中身はドロドロに醜い女よ、と。皮肉めいた笑顔で、小さく零した。
「私は魔女よ。心の荒んだ魔女」
「だけど、シンデレラに出てくる魔女は心の美しい魔女だよ」
「ふふっ。……私はー‥、そうね。白雪姫の、あの魔女だわ」
「わからないな」
「え?」
「心の荒んだ魔女は、こんなところで泣いたりしない」
「………見ないフリは、もうしてくれないの?」
「それもいいんだけどね。男の本能が、話を聞けと言ってる」
「本能?」
「男は真実を欲する生き物だから。逆に、女性は想像に心酔するんだよ」
「確かに、そうかも知れないわね」


少しの沈黙。


今夜だけの話し相手に言ったところで、傷が癒えるわけでもない。そんな当たり前のことは承知の上だ。何だったら、無視して帰ってしまえばいいだけの話。

でも、

それでも。



「………ただ、」

少しでも、気持ちが軽くなるかもしれない。


「想いが、消えてしまっただけ」

あぁ、違う。

「消えた、んじゃないわね。……行き場所を失くしたわ」


ただそれだけの話だと。は言い、節目がちに沈んだチェリーに目を向けた。
「消えるくらい、だったら………、苦しくはなかったんでしょうね」
それはか細い、消え入りそうな声。ジャックは思わずその肩に手を伸ばそうと。
しかしそれを遮ったのは、明るい声。いや、無理に明るく装ってるのは明白。
「確かに、魔女よ。主役はあの子。王子様と、晴れてハッピーエンドだわ」
自嘲でもするかのような少し高みを帯びた声で。
「魔女らしく呪いでもかけてあげた方がいいのかしら」
「そうかな」
「そうでしょう?他に何が思いつくの?魔女は魔女らしく、」
「知ってる?」
遮られた言葉の続きが消え、ジャックは沈んだチェリーを摘む。
「何を?」
「物語をさ」
「白雪姫?人魚姫?それとも、シンデレラ?」
「君にとって、大切な物語を」
「………私?」
「そう。知らないようだったら僕が教えよう」





降りしきる雨の中、男は一軒のバーへ立ち寄る。
そこには、黒のベールを纏った魔女が一人。
ジャックはスラスラと話を進め、はそれを、静かに聞いた。
「魔女のグラスには琥珀色の液体と、真っ赤なチェリー」
そして男は、彼女の瞳から零れた雫を見逃さない。雫は琥珀の液体にゆっくりと溶けていき、男はそこでふとひとつのことに気づく。
「気づくって?」
「琥珀の液体に映った、魔女の素顔に」
「素顔?」
「あぁ。魔女は思い込んでただけさ。自分が魔女だってね」
ベールに隠された魔女の素顔は、悲しい目をした女性だった。
そこで男は、その魔女に声を掛ける。

「『いいですか?』」

「え?」
「『隣、どなたかいらっしゃいますか?』ってね」


それは、


「どこかで聞いた話だわ」
「だから言ったじゃないか。君にとって、大切な物語だって」
「ジャック、貴方、変な人ね」
「よく言われるよ。………結局、魔女は男と話しているうちに本当ことに気づく」
「本当の?」
「人は誰でも、物語の主人公ってことに」
「………主人公、」
「スポットライトを浴びるのは、君の役目だよ、
昔から決まってることさ。ジャックは笑い、優しくその指を撫でた。その仕草に、その突拍子もない話に、は笑い、頷く。

「私、魔女じゃないのね」
「あぁ。君はお姫様だろう?シンデレラも白雪姫も敵わない」
「昔、小さい頃、お姫様に憧れたわ」
「気づいてなかっただけさ。自分がお姫様だってね」
「そうかしら」
「そうだよ」
クスクスと、じゃれ合う猫のような二人を。戸口に立ったジャックの相棒は、やれやれという顔で見ていた。自分が車に鍵をかけてきた間に、この男は何をどう転がしたんだろうと苦笑う。そして、邪魔者は退散しますといった様子で、項垂れながら外へ出て行った。





「あぁそうだ、物語の続きを話そう」
「続きがあるの?」
「主人公はお姫様。お姫様には、王子が必要だ」
「出会えるのかしら。王子様に」
「男の持っていたサーベルに、隣国の王家の紋章が刻まれていたって言ったら、」
ちょっと話が上手すぎるかな。ジャックは言い、囁くように付け加える。
「王子と姫が出会って、物語は大抵ハッピーエンドだ」
囁きは柔らかく、その声は甘い。

「君の物語は、これから始まる予定になってる」

そしてあの、甘い笑みをそっと浮かべる。
それに応えるように、も甘い笑みを、そっと浮かべた。

 

 


平田さんの声で読んで頂ければ…(力不足だ)
03/09/08  ×