Row Rickenvacker ver.

 

 

入って来たのは一人の男だった。

茶色に揺れる長い髪を一つに束ねた男は、を通り抜けた。
そしてバーテンにビールとだけ告げ、椅子に腰を下ろす。無骨なその座り方に、は肩を数センチ動かしたが、男は気づいてないようだ。自分とは椅子二つ分だけ間隔の空いた男の前に、なみなみと注がれたビールが置かれた。
「サンキュ」
「今日は何杯いけそうだ?」
「さァな。途中の気分にもよるだろ」
「今日この店で一番飲んでるのは、隣の女性だぜ?」
「ん?」
えっ、とは怪訝な視線をバーテン投げる。しかしバーテンはそ知らぬ顔。バーテンに目を向けたに、客の男は声を掛けた。
「何杯目?」
「は?」
「四杯目だ」
またしてもバーテンが声を発す。何か恨みでもあるのだろうかと、は居心地悪そうに自分の指を弄んだ。
「マンハッタンを四杯?そりゃ凄い。何かやなことでもあったのか?」
興味有りげな顔で、そして少し含み笑いながらを見る。
「あ、今、何この変な男、とか思った?」
「はァ?」
「オレはロウ。ロウ・リッケンバッカー」
「リッケンバッカーさん?」
「ロウでいい。あんた、名前は?」
「………何で、」
「秘密主義か?そりゃあ不公平だろ」
まぁ、教えてくれなきゃ勝手に呼ぶけどな。ニッと悪戯な笑みを浮かべたロウは言い、ビールを一気に喉へと流し込んだ。


「で?何かやなことでもあったのか?泣いてたお嬢さん」

見られてた。

「なっ、」
「男にフラレたか、そうでなきゃー‥、仕事で失敗?泣いてたお嬢さん」
よ!泣いてた泣いてた連呼しないでっ」
「そりゃ失礼。だけど、名前を教えてくれなかったのはそっち」
「どうして見も知らない男に名前教えなきゃなんないの?」
「それが、出会いってもんだ」
違うか?そう、カラカラと笑う。人の神経を逆なでするかのように。
「………あんたみたいな人種と話すと、頭痛くなるわ」
「そうか?ちゃんをフった男は、こんな男じゃなかったんだ?」
「何、」
「間違いなく前者だな。仕事で失敗して泣く女じゃないって、よーくわかったよ」
「本当にあんた、失礼ね」
「よく言われる」
互いにたっぷりの皮肉を。だけど刺々しさはない、楽な会話だ。


「さて。じゃあ、今日からオレとは知り合いだ」
ロウは笑って言う、何でも話してごらん。呆れた笑みを零したは目を細めて、だから、と。
「ロウの言うとおりだわ。私、男を逃したの」
「へェ?」
「別の女に取られたわ。きっと、人生の主役にね」
「だははっ。皮肉屋だな、お前」
「本当のこと。別に、……変な意味じゃなくて」
「ん?」
「端役は、主役にはなれないのよ」
肩を竦め、片目を上げてロウを見る。そしては口端を上げ、知ってる?人生は舞台なのよ、と。

「舞台?」

それは、人生という名の舞台。
主役がいて、端役がいる。
そんな舞台なのだと、は笑った。

「なかなか芸術的文句だな。主役はか?」
「勿論、…と、言いたいとこだけど」
彼女の笑みに混じってるのは落胆の色。
「人生上手くいかないわ。言ったでしょ?人生の主役は彼女みたいな女なの」

悪びれてなくて、優しくて。人のことを考える、それでいて自分に素直な。
一度人生に躓いても前を向くようなそんな彼女たちが主役。

「私は端役。ただのコマ。主役の恋人に恋をした、……ただの天敵」

は告げる。マンハッタンをもう一杯、と。バーテンはゆっくりと視線をからロウに移し、首を傾げて見せた。
「作ってやれよ。濃いのをな」
「ロウ、」
「いいから。このくらい大丈夫なんだろ?
「大丈夫よ。昔から、お酒には慣れてる」
こうやってバカみたいに飲むのも慣れてるわ。先ほどと変わらぬ皮肉たっぷりの口調で、チェリーの果実を口へと運ぶ。


「フラれなれてるって?」
「……あんた、本当に失礼よ」
「そう聞こえた。恋多き女か」
「くだらない恋多き、よ。そうね、くだらない恋だわ」

みんなくだらない。あの男も、あの女も。そんな恋を選んで、繰り返す私も。
そう言ったは、ふいに視線を天井へ。その視線を追うように、バーテンも天窓の夜空を見上げた。しかしロウだけは、彼女から視線を離さない。

「何か?」
バーテンが上を見ながら。
「………雨が凄いわね」
「えぇ。今夜は豪雨だって、ニュースで言ってましたからね」
「そう」
何度か軽い瞬きを。そしては前に向き直る。
「オレにももう一杯」
同時に、ロウが言った。
「あ?ビールか?」
「いや、……ウィスキ・トディー」
ホットでな、そう付け加えて。
「ロウ、お前ウィスキーなんて……、しかもホットだ?」
「悪ィかよ」
「悪いも何も、ホットなんて面倒な、」
「奥の方で湯沸かせばいい」
店で何かあったら、チラリと店内の客層に目を向け、すぐに視線を戻した。
「呼ぶから」
「………あぁ。あんまり長くかからないと思うがな」
「わかってるわかってる」
何かを示し合わせたようにバーテンは奥へと消えていく。

後ろには客が何人かいるものの、誰一人として、こちらへ興味を向ける者はいなく。は顔を顰めてロウを見据えた。
「ホット・ウィスキー?好きなの?」
「飲んだことはねェけど。あったまるらしいぜ」
ふうん、と、は大して興味なさそうに。そんなに、ロウは言う。


「バーテンはいない」

至極優しい、まるで子どもをあやす様な声だ。

「周りはこっちに興味ない。お前を知ってるのはオレだけだ」
「え?」
「泣けばいい。我慢する必要はねェさ」
涙を零さないように上を向き、どうでもいい天気の話題。この男には、すぐに見破られるとわかっていたのかもしれない。

「お前は、新しいことを二つ覚えた方がいい」
「二つ?」
「一つ、誰かの前で泣くってことだ」
「………っ、」
「こんな飲み方して、毎回一人で泣くんだろ」
それはちょっと頂けねェな。ロウは目は、優しくを見ている。
「もう一つ。……そりゃ、お前は主役って感じはしない」
「やっぱり、失礼よ」
「よく言われるって言ったろ?」
そうして言う、主役がいるんだから端役だっているのはあたりまえだと。
「端役なしじゃ、主役は成り立たない」
「フォローになってないわ」
「こっからが大事だ。端役には、端役の人生があんのさ」

端役の人生。

「何も、主役の恋人に恋しなくたっていい。そう、例えば、オレみたいなただの端役仲間に恋すりゃいいんだ」



これは、

もしかして、

ひょっとして、



「………ロウ、」
「ん?」
「口説いてるの?」
「あー‥、簡潔に言うとそーかもな」
何だか、今まで真剣に聞いていたことがバカらしく思えるような返答。は力の抜けた顔をし、それが徐々に笑いに変わる。そして酒に酔ったかのように、声を立てて笑い出した。その声を聞いて、奥からバーテンが戻ってくる。手にはロウの頼んだホット・ウィスキーが見えた。

「お待ちどう。彼女の機嫌がいいみたいだな」
「そうだな。何でだろう」
「あー‥、もう。何なのよ、一体」
はまだ、顔に笑いを浮かべてて。
「だから言ったろ、最初から」
「何か言った?」
「出会いだ、って」
「……ぷっ、あはははっ、あんた、バカねっ」
先ほどの彼女と比べると至極楽しそうに。バーテンはロウに、ビールがいいんだったら変えてやるけど、と。しかしロウは、たまにはウィスキーもいいとだけ返し、それを受け取る。

「じゃ、端役同士の出会いに乾杯しようか」
「まぁ、最初はお友だちからね」
「と、友だち、って、お前、」
「いやならいいわ。帰って寝るわよ」
「………新しい友情に」
「乾杯」

新たな出会いは一人の女性の傷を癒し。
一人の男に想いを植えた。

そしてその男は、彼女の耳元で囁くのだ。
物語は、始まったばかりだ、と。

 

 


ロウ・リッケンバッカー氏はうえださんですね。
03/09/08  ×