| 映え月見草ポプラの枝先 |
|
胸がチクチク痛んでるだけ。 大きな、何とも言えぬ不安を抱えることが時たまある。そんな夜は街で一番大きな時計台に上ることにしている。 上る場所じゃないってのはわかってる。昔からよくここへ上っては時計番である祖父の怒りを買ったものだった。その祖父がいなくなった今となっては、誰に怒られることもない。大きな時計台は電気式になり、別の場所で時間が管理されていた。掃除をする必要も、遅くなった針に油を差す必要もなくなった時計台。 だけどオレはここへ上る、不安を抱えたときは。 「あ」 つまみ忘れた、小さく呟いた言葉は階下の夜へ吸い込まれる。手にした酒瓶をゆらゆら揺らせば、部屋の窓際に置いたチーズの欠片が思い浮かんだ。部屋に戻って取ってこようかどうしようか、考えはしたが今更戻れはしない。今頃はルームシェアした相棒が連れ込んだ女との甘い巣になってるから。 「あー‥」 飲む時は何か食べろ、昔航海好きな父親と旅に出たときに言われた言葉。オレが言われたわけじゃなくて、酒好きな親父がレストランの料理長に言われてた。こんな時に思い出すのはどうかしてるか、嘲笑に似た笑いが小さく零れる。 まぁいいかと、チーズのことを忘れ酒で喉を潤そうとしたその時、 「‥?」 ガタンと何かが動くような音がした。振り向けば時計台の奥、夜目には眩しすぎるものが揺れているのがわかった。 月だ。 「何だレディじゃねェのか」 月に見えた男の第一声はそれだった。月というには深く誤解を招くが、やはり男の髪は月のようないろだった。 島の警察に追われていたという。仲間が食堂で食い逃げという不貞をやらかし、追われてるとこで合流したと言っていた。ここへ上ってきたのは偶然のことらしい。 「そりゃあ運が良い」 「あ?」 「ここへ来るのはオレぐらい。警察も上ってこねェし」 「オレは上ってきたぜ?」 「普段は鍵掛かってんだ。今日はたまたまオレが開けた」 だからあんたは運がいいよと、笑って言ってやった。こんな時計台へ客が訪れるのは久しぶりで、思わず昔を思い出した。 祖父が生きてるころは、この時計台が人の手を借りて時を刻んでいたころは、祖父の知り合いや町の住人がよくこの時計台を訪れた。子どもが高いところへ上るなと怒られる中で、そんな時間は唯一許される時間。大人たちの中にいるのはお世辞にも楽しいとは言えなかったが、時計台に上るということを許されるその空間は好きだった。 「一杯やってたのか?」 「あ?あー‥あぁ」 「こんな場所で?」 「こんな場所はねェだろ。見てみろ」 指差した、町の灯が夜の中に煌々と流れる。 「夜景っての。知らねェ?」 「男一人で夜景肴に酒飲んでたのか?」 「そんなもんだ」 「……マジかよ」 信じられないというような仕草で腕を擦り合わせた男に目を向けた。 「おい」 「あ?」 「名前は?」 「あァ?」 「てめェの」 「サンジ」 「サンジ、人の趣味にとやかく口出すんじゃねェよ」 「あァッ?」 「人の領域に押し入って文句垂れんな」 視線を合わせもしないまま言ってやる。初対面の人間にこんなこと言うのもどうかと思うが、こっちだって気に触ることを言われたのだから仕方がないと思って欲しい。 「……そりゃ悪かったな」 素直に謝られると、強く言った方が心地悪くなることを知っているのか。相手の言葉に頷きを見せたら、少しホッとしたような空気になった。 「あんたの名前は?」 「」 「、悪かった」 「や、もういいって」 別にそんなに怒ってるわけじゃないと、呆れたような笑いが漏れた。それに対してサンジも笑い、胸元から煙草の箱をスッと出す。中から細めのそれを一本抜き出して、男にしては細めの指先に収めた。シュッとマッチの擦れる音と香りがして、階下の灯と似たような光が浮かぶ。 それから数分、互いに何も喋らずにその場に留まった。 先に声を発したのは自分の方で、しかし場の空気に気詰まったわけではない。 「サンジ君」 「あ?」 「行きずりの男とキスとかしてみる気ねェ?」 ヤツの指を見てたらそんな気分になってしまった。そう思った刹那、オレはホモなのかなとか余計なことを思う。 「何言ってやがる」 「だよな」 「オレの唇はレディ専門なんだよ」 「大抵の男はそうだろーな」 忘れてくれという意図のことを言えば、サンジは訝しげな表情を作った。 「男色か、あんた」 「いや、」 「だったらオレなんかに欲情すんなよ」 「悪かったよ」 「悪いが相手がいるんだ」 「悪かったって」 ヒラヒラと手を振り、さっきの言葉を掻き消すように宙をかき回す。そんな仕草を視界に入れて、あぁ、ヤツの目がオレを映してたからさ。何かあったのかよと、初対面の人間を気遣う姿が見て取れた。 「ちょっとな」 「あ?」 「いや、いい」 「ンだてめェ。言えって」 ぶすっとしたその顔が可愛いって言ったらこいつは笑うか。それじゃあ本当に男色だって思われる。 「死んだんだ」 「……あ?」 「じーさんが死んだ」 「……………」 そんな話題望んでいなかったんじゃないかと思う。相手の様子でそれはわかること、だが気まずい空気を作った自分を叱咤はしない。 「そうか」 「おう」 「……」 「あ?」 「口貸せ。してやる」 「何言ってんの」 「キスしてやるよ」 ヤツの唇から先ほど咥えたばかりの煙草が離された。近づくそれに何の抵抗もない自分を可笑しく思う。 あぁ、何だ、ちょっと待ってくれ、オレァ本当に男色の道いっちまうのか。 だってよ、悪いな、サンジ。 じーさんが死んだのはオレがガキの頃の話でさ。 まだこの時計台が人の手ェ借りて動いてる時でさ。 何かあったのかって、初対面のくせに人のこと気遣うてめェを騙してる。 ゆっくり重ねられる唇の味は、ヤツが一瞬前まで咥えてた煙草の味。 ちょっとした免罪的な気持ちが心の中にもやっと出てくるけど、何だか心地いい唇にそれは負けてしまう。 煙草の中に何か甘いような、少しばかりアルコールを含んだ味がした。 「酒、飲んでんのか」 離れた唇をなぞるように言葉を紡げば、サンジは首を傾げる。飲んでねェよと笑った後、お前が飲んでたんじゃないのかと目を細めた。 「あァ、オレか」 「そ。お前」 言いながらゆっくりと立ち上がるサンジは、そのまま夜の街に落ちてしまいそうな。儚さや弱さとはまた少し違うような空気を漂わせている。 行くのかと言えば口先を尖らせて、それでも微笑みを浮かべてひとつ頷いた。 「じゃあな」 「んー」 「一晩一緒に居てやりてェけど、相手いるからよ」 「はいはい。専用のレディに唇返してやれ」 「オレの専用はガタイのいいクソ野郎っつったらどーする?」 「………あァッ?」 「だからって男色ってわけじゃねェぞ」 「マジかよ」 ふと唇に指先を当てる。 キスした行きずりの男は専用の相手がガタイのいいクソ野郎らしい。 唇に指先を当てる。 キスした行きずりの男は専用の相手がガタイのいいクソ野郎らしい。 キスした行きずりの男は専用の相手がガタイのいいクソ野郎らしい。 しつけぇか? 「そーか」 そーかともう一回、さっきから何度しつこさを押し出してるんだ、オレは。 男色ではないが専用が野郎だと言う相手へのキス。 ちょっとへこむんだ、この簡単な行為、お前が男色じゃあねェんなら余計な。 ゆれるゆれるまぁるい月のようなそれは、元来た階段を下がっていく。オレの元にはもう何もないかのように下がっていく。 今起きたことは全て夜の帳に消えていく、そんな感じがした。 ごめんな、お月さん。 オレのじーさんはもうとっくにこの世にオサラバしちゃってんだ。 ごめんな、お月さん。 オレにも専用の相手ってのがいるんだ、それもお前と同じクソ野郎。 ごめんな、お月さん。 悲しかったわけはそいつに関係しててさ、──‥言えねェけど。 悔し紛れに同じことをしてやろうと思ったら、全部覆うほどの罪悪感。野郎に興味なさそうなヤサ男のお相手は、自分と同じクソ野郎。嘘なんざつかなけりゃ、同じような境遇のオレに優しく諭しを入れただろう。 さて、ちょっと胸が痛むが帰ろうか。 愛しいクソ野郎がお楽しみ中の、オレたちの部屋へ。
何を書こうとしたのか。サンジ絡みだがラブーではないお話。
05/06/28 × |